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1980年に発足したホワイトデーは、おかげさまで国民的行事の1つに数えられるほどに成長いたしました。ここにその歩みをご紹介致します。 全国飴菓子工業協同組合ホワイトデー委員会はキャンデーの持つ優しさをコミュニケーションツールとして皆様方の素晴らしいヒューマンリレーションのお役に立てますよう日々努力を続けてまいります。 これからも3月14日が皆様にとって楽しい日になります事をお祈りしております。

全国飴菓子工業協同組合 ホワイトデー委員会

The History Of “White Day”

1980年「愛にこたえるホワイトデー」

初めてのホワイトデー

1980_01.jpg1980(昭和55)年3月14日の「第1回ホワイトデー」に先だち、明治製菓・不二家・篠崎製菓・宮川製菓・サクマ製菓・佐久間製菓・マルエ製菓・金太郎飴本店・カンロ・ホームラン製菓・みやこ飴本舗・二葉製菓・メリーチョコレート(順不同)など加盟13社を擁する全飴協・関東地区部会(江川鉄次郎部会長)は、ホワイトデー企画委員会を設け、委員長にホームラン製菓(株)高柳全孝社長、委員に篠崎製菓(株)篠崎新一郎社長、(株)みやこ飴本舗中西信雄社長、宮川製菓(株)宮川光市社長を委嘱しました。

企画委員らは1979(昭和54)年秋に、東京菓子会館で2回にわたって会議を開き、ホワイトデーのテーマに「愛にこたえるホワイトデー」を制定し、80年2月14日のバレンタインデーと3月7日から14日のホワイトデーにかけてラジオキャンペーンを、3月8・9両日にはプレキャンペーンを展開することにしたのです。

1980_02.jpgプレキャンペーンは、ターゲット(購買層)に対してホワイトデーの告知とホワイトデーの主旨の伝達およびサンプルの提供を行うことにし、銀座三越・渋谷東急・新宿伊勢丹の3カ所で、ユニフォームを着たキャンデーガール3人と生島ヒロシ、古今亭菊助、古今亭菊八らの手で行われました。  当日、特設売場を銀座三越地下一階に設け、加盟13社によるキャンデーの即売を行い、まずまずの成果を上げました。

1981年「好きな女の子にキャンディーを贈ろう」

関東・近畿・中部三地区で統一キャンペーン

1981_01.jpg第1回のホワイトデーについて、全飴協・関東地区部会は「まずまずの成果を収めた」と結果を報告しましたが、この成果は近畿地区部会でも同様でした。この成果を踏まえて、全飴協では早くも1980(昭和55)年9月に、今度は関東・近畿・中部の3地区で統一ホワイトデーキャンペーンを展開する計画を立て、前回と同様のテーマ「愛にこたえるホワイトデー」に、「好きな女の子にキャンデーを贈ろう」をキャッチフレーズとして併用し、概略計画と予算を編成しました。

1981_02.jpg初めて行われる統一キャンペーンの実施内容は地区によって多少の相違点がありましたが、ポスター・マーク・標語・配布カード(消費者用)のほかのぼり・ユニフォームの制作は、関東地区部会が責任をもち、統一したものを作成することになりました。

さらに販売商品の計画は、各社の創意と工夫によって前年よりもデザインに留意し、男性から女性への贈物にふさわしい商品にすることも合意決定され、デパート売り場に参加するメーカー以外にも、より多くのメーカーに参加してもらうため、問屋・小売店で販売できるよう企画することも決まりました。

これらの基本的な決定事項を受けて関東地区部会では、・カードとサンプルの配布および売り場の設定は、前年より拡大して7カ所にすること、・ラジオスポットも50%増とし、印刷物によるパブリシティを積極化すること、・参加メーカーの経営負担を軽減するため設置売店を増やし、メーカー当たりの収支改善を図ること、・カードとサンプルは15万組とする。・タレントの有効利用とその他ツール類によるPRを強化する、などを決定事項としました。

特設会場はどこも盛況

1981_03.jpg昭和56年3月7日から14日までの8日間にかけて実施されるホワイトデーキャンペーンの関東地区の参加メーカーは、明治製菓・佐久間製菓・カンロ・篠崎製菓・みやこ飴本舗・マルエ製菓・宮川製菓・二葉製菓・ロッテ製菓・サクマ製菓・金太郎飴本店・寿賀屋・西島(順不同)の13社が決定しました。さらに量販店など流通向けの企画として、篠崎製菓・カンロ・佐久間製菓による3社共同企画が発足しました。

こうして7日からラジオスポットをはじめとするホワイトデーキャンペーンが始まりましたが、関東地区部会が特設した7カ所の会場はどこも盛況で、三越銀座店が10日からの5日間(13日~14日、立川談四楼の司会)、銀座ソニービルが12日からの3日間(13日~14日、柳家さん光の司会)東急東横店が13日から14日(13日、柳家小里ん、14日、生島ヒロシの司会)、新宿小田急商事が12日からの3日間、池袋東武百貨店が12日からの3日間(13日~14日、古今亭朝次の司会)、綿糸町らがーるが12日からの3日間、町田ジョイナが9日からの6日間行われ、総売上金額は前年の5倍強にのぼり大きな成果を得ました。

一方、大阪では阪急百貨店の地階に売り場を設け、6日から8日間のキャンペーンガールらによるPR活動を展開しました。

1982年「僕からも、愛」

サイパン島招待


「バレンタインのお返しだといって買いに来る企業の管理職層とおぼしき男性が、かなり目立つようになった」(百貨店筋)
「昨年は半信半疑で目立った取組みをしなかったが、今年は本腰を入れる」(スーパー筋)
「バレンタインの5分の1の商材だが、それだけに伸び率はよく、本年は前年比4倍~5倍達成をめざす」(スーパー筋)

などと評価されるほどに、1982(昭和57)年を迎えた時点でホワイトデーキャンペーンに対する販売筋の期待が高まってきました。  

この盛り上がる期待にこたえるべく、81年10月にはカンロ・佐久間製菓・サクマ製菓・篠崎製菓のホワイトデー4社共同企画の会議が開かれたのを皮切りに、全飴協・関東地区部会でもホワイトデー委員会の企画も進み、82年のバレンタインデーを迎えるころには、「僕からも、愛」のテーマキャッチフレーズのもと、大要、次のキャンペーン企画がまとまりました。

  • 1982_01.jpg東京地区は3月13日と14日の両日、銀座、渋谷、新宿、池袋、日本橋でキャンデーガール2人、若手落語家1人、組合員3人により、1日1カ所で1万パック、計10万パックのキャンデーを消費者に配布、TBSラジオカー2台が、都内配布場所を巡回して生中継する。
  • 駅頭ポスターは国鉄・私鉄の主要駅に各10枚ずつ掲示。
  • 1982_02.jpg3月1日から13日にかけてTBSラジオスポットを投入、クイズ方式によりぺア10組を抽選でサイパン島へ招待
  • 名古屋地区は国鉄名古屋、近鉄各駅に駅頭ポスターを掲示。
  • 名古屋駅から栄通りをメインにキャンデーガールによるキャンデー2万パックを配布
  • 大阪地区はラジオスポット150本を投入。小売店300店、デパート3店がキャンペーンに参加

1982_03.jpgこうして始まった3月8日から14日にかけてのホワイトデーキャンペーン特設売場は、関東地区では、銀座三越、ソニービル、銀座松坂屋、日本橋高島屋、上野松坂屋、日本橋三越、新宿三越、池袋三越、横浜三越、新宿伊勢丹、京王、渋谷東急東横、大井新阪急、町田東急、綿糸町ラガール、横浜高島屋、大宮高島屋、高崎高島屋、立川高島屋、玉川高島屋、千葉そごう、横須賀さいかや、の各デパートで設定されました。  

このうち、売り場でのキャンペーンは、3月13日に京王百貨店、13日~14日に東急東横店、日本橋三越、ソニービル、13日に銀座三越、14日に東武目貨店で実施されました。  

1982_04.jpgデパートではどの売り場も13日から14日にかけて盛況を見せ、この年の傾向として、「男子の中学生や高校生がテレないで買うようになった。この傾向はホワイトデーがヤングに定着してきている証拠である」とある業界紙は報道しました。しかし、デパートのにぎわいに対してスーパーが概してふるわず、結果的には次回の企画に“市場別の対応が重要”であるとの教訓を残しました。

1983年「愛の数だけキャンディーを贈ります」

新企画を盛り込んだキャンペーン企画

第4回ホワイトデーキャンペーンの企画は、1982(昭和57)年末に開かれた全飴協・関東地区部会によって固められ、「愛の数だけキャンデーを贈ります」をテーマに、売上目標を50億円を見込みました。  

83年2月、在京業界紙を招き企画の発表会の席上、江川鉄次郎関東地区部会長は、「ホワイトデーもやっと4歳になり、人間にたとえるとようやく一人歩きするまでに成長しました。ホワイトデーキャンペーンもこれからは、地道に確実性をもって実施する覚悟です。消費停滞のムードの中で、キャンデー業界もホワイトデーを足掛かりに、キャンデーの販売促進と販売拡大に結びつけたいと思います。今回からキャンペーンは、参加する企業だけで自力で実施する覚悟です」 と覚悟を述べました。  

1983_02.jpg企画の概要は、売り場および物流管理などほぼ前年どおりで、参加有志メーカーの顔触れも、篠崎製菓・宮川製菓・佐久間製菓・サクマ製菓・扇雀飴本舗・カンロ・マルエ製菓・みやこ飴本舗・ノーベル製菓・金太郎飴本店・明治製菓(順不同)と、いずれもなじみの深い11社でした。  

新企画としては、・オープン方式のクイズでキャンデーの詰め合わせ(1000~1200円相当)のプレゼント100名)、・文化放送とタイアップして、ミスDJとミュージシャン稲垣潤一によるホワイトデーコンサートを3月14日、虎ノ門久保ホールで開催(500組のヤングを招待)の2企画が前人気を呼びました。  また、スーパー向けの共同企画も4社(篠崎製菓・サクマ製菓・カンロ・佐久間製菓)によって行われました。

品不足に見舞われたデパートも  

1983_03.jpgキャンデーセールは3月12日から14日にかけて実施され、東京・銀座のソニービルでは会場の1階ロビーに参加メーカーのホワイトデーキャンデーをメーカー別に並べ、場内の色彩をピンクとホワイトで統一してムードを高めました。また日本橋の東急デパートでは、日本橋架橋380周年記念セールの一環として、正面入口と地下1階に特設売り場を設け、ソニービルとかけもちのキャンデーガールや落語家林家源平を迎え、クイズ当てで会場をにぎわしました。  

キャンデーセール3日間の人出はソニーが13日(日)、東急は14日(月)がそれぞれ最高を記録し、ホワイトデー当日の東急は、昼休みのサラリーマンで黒山の人だかりとなり、午後1時過ぎには品不足に見舞われて、デパート側をあわてさせた、ということです。  その他のデパートでも、テナント店が独自に催事を展開した店では、13日から14日にかけて客も多く、ある店では「ヤング層に圧倒的にうけました。オリジナルな商品に人気が集まり、よく売れました。この分でいくと、3年から5年後には完全に定着するかもしれません」と感想を述べていたと伝えられています。  

14日夜のホワイトデーコンサートも、立見の若い観客が出るほど盛り上がりました。

1984年「好きだよを包んであげる」


1984_01.jpg第4回ホワイトデーキャンペーンに参加したメーカーが特設した売り場以外では、ホワイトデーの認識にもとづく売り場側の熱意の盛り上がりが足りなかったとして、1983(昭和58)年のホワイトデーセールスに反省を加えた全飴協・関東地区部会は、第5回ホワイトデー対策の準備委員会を83年8月に発足させ、企画にとりかかりました。

委員会は、向こう5カ年の中期対策も根本的に再検討する一方で、第2回ホワイトデーキャンペーンからポスターの配布を見送っていた小売店対策を見直し、第5回キャンペーンからは問屋サイドと連繋を密にして、とにかく売る側のホワイトデー認識を高め、今後の発展を図ることにしました。

1984_02.jpgこれまでホワイトデーキャンペーン企画で、つねに先頭を切っていた篠崎製菓・佐久間製菓・カンロ・サクマ製菓の4社共同も、

(1) 関東の量販店約1200店に共同で納入する
(2) ホワイトデー期間中、店頭に共同のコーナーを設け、プレゼントやマネキン販売も行う

などを骨子とした流通向け共同作戦計画を立て、各大手スーパーの趣旨賛同を獲得するために積極的な活動を開始しました。

一方、ホワイトデー委員会11社(篠崎製菓・金太郎飴本店・扇雀飴・ノーベル製菓・みやこ飴本舗・宮川製菓・佐久間製菓・サクマ製菓・カンロ・マルエ製菓・明治製菓)のメーカーが参加する全飴協・関東地区部会の実行委員会も、テーマ「好きだよ、を包んであげる」を決め、前回に続いて文化放送とタイアップしたミスDJコンサート開催(渋谷公会堂・3000名招待)を目玉に、中年以上の層にホワイトデーの浸透を図るため、日本橋などオフィス街でもイベントを実施する企画を立てました。

販売面ではこれまで問屋の(株)中信に託していた物流商流に、再検討を加え、首都圏の主要百貨店と地方百貨店の取扱いは、メーカーのレーマン製菓の流通網を利用することにし、「キャンデー=ホワイトデー」というイメージづけを定着させる年間催事にすることを、改めてめざしました。

こうして大筋では例年の企画にのっとったホワイトデーキャンペーンが、1984(昭和59)年3月8日から14日にかけて、ラジオスポットから始まり、12日からほぼ全国的にセールが展開されました。目標は4社共同が10億円、全国的には50億円の予測が立てられました。

第4回ホワイトデーキャンペーン この年のホワイトデーセールでは、「バレンタインデーの愛を返す日」としての催事の認知が、すでにヤング層に定着したとして理解し、さらにはアダルトの中年やローティーン層にホワイトデーの浸透を図ることが戦略としてとられ、各メーカーの「義理キャンデー」の包装やネーミングにも、各層向けの意匠が凝らされました。

ホワイトデーの目玉となっているミスDJコンサートも、渋谷公会堂で午後6時半から3000人以上の観客を集めました。この年も文化放送が主催し、ゲストに中原めい子、大沢誉志幸の出演があり、ミスDJの8人が、会場の雰囲気を盛り上げました。

1985年「あの娘にキャンデーパンチ!」


全国的な規模での売り上げで、55億円もの成果をあげた第5回ホワイトデーを踏まえ、第6回は全体売り上げが70億円に設定されました。例年のように早々と企画が進み、メインテーマは、「あの娘にキャンデーパンチ!」が決まり、計画案は第5回の企画を参考に、大要、次のようにまとまりました。

●文化放送とのタイアップによるミスDJコンサートを、3月14日、渋谷公会堂で3000名を招待して開催
●文化放送独自のホワイトデーPRのほか、ミスDJコンサート募集を各番組に取り入れ、告知宣伝を実施
●文化放送、東海、ラジオ大阪によるラジオスポット約150本
●ポスターによる告知、B3判横サイズ10万枚を配布
●ブリスターパックキャンデーの配布(キャンデー2粒と告知カード入り10万個)
●ホワイトデー告知カードの配布10万枚
●都内主要地でのイベント実施(銀座、日本橋、渋谷、原宿、新宿、池袋ほか)。若手タレント、落語家とアナウンサーコンビで実施
●キャンペーンガールほかによる告知キャンペーン
●新聞全5段による告知(サンケイ・東京スポーツほか計5回)
●関係者統一ユニフォームの作成による告知
●バレンタインデー催事期間中からホワイトデー告知を行う
●百貨店関係の物流商流は前年同様、メーカーのレーマン製菓に依頼する
●直営店を20店舗に増やし、各社2店舗ずつ担当とする

1985_03.jpg以上の企画のもとに、1985(昭和60)年3月5日からホワイトデーキャンペーンが展開されました。前述の企画案にもあるように、ホワイトデーの告知はバレンタインデーの催事期間中から行われ、全国的には主要百貨店150店舗に販売コーナーが設けられるなど、電波による告知とあいまって3月14日へ向けてのムードを盛り上げました。



このキャンペーンに参加したメーカーは、例年のように、カンロ・サクマ・佐久間・篠崎の流通向けの共同キャンペーンを展開した4社を含め、金太郎飴・宮川製菓・扇雀飴・マルエ製菓・ノーベル製菓・みやこ本舗・明治製菓の7社を加えて計11社でした。

販売場所はレーマン製菓扱いの主要百貨店のほか、銀座ソニービル、ラフォーレ原宿、品川ウイング、吉祥寺三浦屋、防衛庁売り場、新宿ペペ、下北沢ビックベン、パルコなどでした。

1985_01.jpg前年同様大きな反響を呼んだのが、3月14日午後6時半から渋谷公会堂で開かれたミスDJホワイトデーコンサートで、出演がスターダスト・レビューと麗美、ミスDJが曽根かおる、向井亜紀、波多えつ子、佐原千春、有賀さつき、内藤はるみたち6人で、ゲストに千倉真理と宮坂久美子が出て、観客約2000人を集めました。

1986年「正々堂々ホワイトデー」

前回は総売上で70億円を突破する実績を挙げましたので、全飴協・関東地区部会では、第7回ホワイトデーの売り上げ目標を「100億突破」に置きました。

1986_01.jpg全飴協のホワイトデー委員会によるキャンペーン企画打ち合わせは、早くも1985(昭和60)年10月から始められ、カンロ・佐久間・サクマ・篠崎の流通向けの4社共同企画も、ほぼ同時に始まりました。

企画の大筋に大きな変化はありませんでしたが、第7回は「黒沢年男をイメージキャラクターとし、バレンタインデーに次ぐ日本の年間催事とする」との意気込みのもと、従来のミスDJコンサートの代わりに、主要デパートで開催の黒沢年男ほかゲストによるキャンペーンに重点を置く企画が採用されました。また前年からホワイトデーキャンペーンに、「白いショーツを贈ろう」という統一キャンペーンで相乗りした下着メーカーも、「今回は本腰を入れます」と決意を表明するなど、86年を迎えるとホワイトデーの前人気は、たいへん盛り上がりました。この前人気をある新聞は、次のように報道しました。

1986_02.jpg 「今年はコンサートなどをからめ、一気に100億円の大台突破をもくろむ。“義理チョコ”への返礼として、“義理キャンデー”が人気という。『かっては小・中学生や高校生が売り場の主役だったが、最近は領収書を請求する中年男性の姿がかなり目につく』(業者談)そうだが、これも経費のうちらしい。他の菓子メーカーや小売店も、アイデア商法で〃“客引き”に懸命。(略)約1カ月の期間中、通常の月間売上高の3、4割を見込んでいる。(略)百貨店も負けていない。売り場に出向かなくても商品が買える『ホワイトデー・プレゼント外商受注』を開始するところもあれば、バレンタイン商戦の際、女性客に代わって『お返しを待っています』のカードを発送する店もあるという」

1986_04.jpgこうして例年のようにホワイトデーキャンペーンが、幕を明けました。まず、2月10日に日本コロムビアよりホワイトデー・イメージソング『て・れ・な・い・で』が黒沢年男により発表され、そして2月28日にTBSホールで、「黒沢年男ホワイトデーコンサート」が、東京放送主催、全飴協提供で開かれ、3月9日にはTBSの特別番組で一時間電波にも乗りました。出演者は黒沢年男、高見知佳、美都ももこ、本田美奈子、芳本美代子、水谷麻里のほか、ゲストに『て・れ・な・い・で』の作曲家タケカワユキヒデ、司会は松宮一彦によって行われ、大盛況でした。

続いて主要デパートでのキャンペーンが相次いで行われ、3月11日、日本橋東急では黒沢年男のサイン会、三田静の新曲発表会、同じ日に新宿伊勢丹で黒沢年男のサイン会、3月12日には日本橋東急でブスッ子クラブによるデビュー曲発表会が轟次郎の司会で開かれ、13日には池袋東武の屋上で三田静の新曲発表会、3月14日のホワイトデーには、池袋東武屋上でホワイトデーコンサートが、ブスッ子クラブの出演、轟次郎の司会で開かれ、日本橋三越では黒沢年男のホワイトデーコンサートが開かれ、いずれも多くの観客を魅了し、ホワイトデーを大いに盛り上げました。

1987年「夢みて待ちますホワイトデー」


「本年のホワイトデーは昨年までとは全く様相が変わってきて、もうすっかり社会の中に定着してきたともいえるでしょう。これも私たちホワイトデー委員会の、いままでの宣伝活動の成果と自負しております。これからはますますホワイトデーの市場は大きくなって、バレンタインデーを凌駕するまで発展することでしょう」

1987_02.jpg第8回ホワイトデーキャンペーンの『事業報告書』は、冒頭で誇りをもって報告し、いっそう市場拡大の展望をうたいあげました。この1987(昭和62)年の第8回ホワイトデーキャンペーンにかける全飴協・ホワイトデー委員会の動きは、86年9月14日、ポリドール(株)音楽第一スタジオで行われた「ホワイト・シンデレラ」審査によって幕を開けました。

1987_01.jpgこの日「20歳までの健康で芸能活動が可能な女性」の募集条件に沿った約5000人の応募者の中から、久松由実さんが「ホワイト・シンデレラ」に選ばれ、87年2月17日、赤坂プリンスホテルでポリドール(株)から発表されたホワイトデー・イメージソング「ボーイフレンド」の新人歌手としてマスコミに紹介されました。

1987_03.jpgつづいて87年3月3日、キャンペーンの一環として、赤坂のTBSホールで「ホワイトデーコンサート」が開かれ、ゲスト歌手の石川秀美、松本典子とともに、久松由実はデビューを飾ったのです。


変化する“お返し”の中身

1987_04.jpgこうして久松由実のデビューで始まったホワイトデーキャンペーンは、3月8日にホワイトデーコンサートのTBSラジオ放送、3月9日には銀座ソニービル、上野丸井、綿糸町西武、10日には横浜三越、町田東急、11日には日本橋東急、銀座松屋、12日に日本橋三越、銀座三愛、銀座松坂屋、銀座松坂屋、13日に日本橋東急、池袋東武、新宿ペペ、赤坂TBS前で久松由実の出演によってくり広げられ、14日のホワイトデーには、吉祥寺東急、吉祥寺パルコ、吉祥寺丸井、渋谷パルコで、アフターセールの15日は横浜丸井、戸塚丸井で締めくくられました。
このキャンペーン期間中は、天候が不順で雨が多く寒い日が続いたこともあって、街頭イベントは、日によって盛り上がった所と沈滞した所に分かれましたが、キャンデーの各売り場は多くの客で盛り上がりました。

すでに、2、3年前から現れていた現象ですが、各売り場ではキャンデーとショーツ、ハンカチを組み合わせた商品や、“彼女のハートに火をつける”との意味合いで、香水入りのロウソクや匂い袋などもギフト商品として登場しました。変わったものでは、全国の生花店と提携してキャンデー等を宅配する所まで出てきました。

このようにホワイトデー商戦には、多くの食品業者や他業種の参加が見られるようになり、全飴協としてもホワイトデーが全国的なイベントとして定着してきたことを喜ぶとともに、「キャンデーがホワイトデーの本家」であることを社会一般に強くアピールする必要を痛感しました。

1988年「キャンデーをあの娘に贈る日」

ホワイトデーキャンペーンも、回を重ねて9回を数えると、その態様にもいろいろな変化が現れてまいりました。その変化の代表的なものがギフト商品の中身で、キャンデー、マシュマロ、クッキーに始まった商品に、ショーツやハンカチに包んだキャンデー、花とキャンデーの宅配便などが加わり、第9回ホワイトデーにはピンクの段ボールで巻き、リボンをつけたヤキイモまでが登場してきました。

 こうした状況をうけてホワイトデー委員会をもつ全飴協では「ホワイトデーの催事とホワイトデーは、キャンデーが本流であること」を強くアピールする企画のもとに、1988(昭和63)年のキャンペーンを実行しました。したがってテーマには、バレンタインデーのアンサーデーとして原点を認識してもらえるよう「キャンデーをあの娘に贈る日」のキャッチフレーズを選定したのです。

 例年の流通向け共同企画は佐久間製菓と篠崎製菓、カンロの、2社になりましたが、参加メーカーは篠崎製菓、宮川製菓、佐久間製菓、みやこ飴本舗、カンロ、金太郎飴本店、扇雀飴本舗、マルエ製菓、明治製菓の例年と変わらない顔ぶれがそろいました。

 さらに全飴協の直営売り場も、いちだんとグレードアップを志し、商品の陳列、装飾等に工夫を凝らすよう努力し、久松由実、ひろえ純、友田ますみ、石野陽子ら芸能タレントが出演する売り場のイベントも、3月6日・千葉三越(ひろえ純)、8日・船橋西武(久松由実)、9日・日本橋東急(友田ますみ、久松由美)、10日・日本橋三越(石野陽子)・上野丸井(友田ますみ)、11日・日本橋東急(ひろえ純、久松由実)、13日・戸塚丸井(友田ますみ)・池袋東武(佐倉瑠美)と展開されました。

ホワイトデーの本命はキャンデー

ホワイトデーの商戦が終わって、ある販売店が「ホワイトデーにはキャンデーとなにがほしい」かと、200人の女性にアンケートしたところ、「本命の彼」からは・アクセサリー、・洋服、・愛情、「義理チョコをあげた彼」からは・食事をおごって、・ハンカチ、・ケーキなどのお菓子、の答があったということです。

これとは別の調査では、ホワイトデーに女性がもらいたい物ベスト5は、指輪、ネックレス、バッグ、時計、洋服、という結果が出たそうで、ホワイトデー商戦もだんだんと値が張る商品に、“お返し”の要求が移りつつあるようです。

このような傾向に対処して全飴協では、ホワイトデーが「いよいよ大きな市場となってきた」ことを認識するとともに、「キャンデーをあの娘に贈る日」であることを、今後とも強くキャンペーンで訴えてゆかなくてはならないと決意するのでした。

1989年「Two Lips」


お陰を持ちまして、当キャンペーンは1989(平成元)年の3月14日で10周年10回目を向えました。すでにホワイトデーは社会的に定着し、毎年の行事として日常的になってきましたが、第10回のキャンペーンは基本のスローガンを次代へ受け継ぐ第一歩の年としました。

1989_01.jpgそのひとつとして、新らしいシンボルマーク「Two Lips」を採用し、オリジナルブランドのキャンデーや包装紙・手さげ袋・紙袋・シールなど使用しました。この“ツー・リップス”は2つの唇・恋人同志という意味で、その響きから、欧米では「Tulips」としゃれて表現したりします。「Tulips」は「Two Lips」です。マークのデザインはカップルとチューリップのオーバーラップがポイントです。

 また、イベントもいままで歌手を中心にした催物でしたが、今回は大人の方からお子様方まですべての方々が見て楽しめるマジックショーを開催しました。出演者は英国人で日本語が堪能なテレンス・オブライエン、コメディー・マジックで人気のナポレオンス、マジック界のインテリ坂井弘幸など多彩な顔ぶれのマジッシャンが出演しました。その他、従来通りの店頭や街頭でのキャンデー・サンプルの配布や広告活動、ディスプレーなどでホワイトデーを盛り上げました。

1990年代から21世紀にかけての全飴ホワイトデー委員会活動

1980年に誕生した3月14日ホワイトデーは毎年新しいタイトルでキャンペーンを展開して年を追う毎に世間の人々に大きな話題を提供しながら、めでたく10歳を迎えることが出来ました。全国飴菓子工業協同組合ホワイトデー委員会として「3月14日ホワイトデーはキャンデーを贈る日」は国民的な一大行事として根付き、世間の人々に認知して頂いたと確信致しました。
その確信のもとにこの催事をより大きなマーケットに育て上げるべく「3月14日ホワイトデーはキャンデーを贈る日」のメインタイトルで毎年幅広く百貨店、スーパー、駅等でキャンデーの特設販売を行って現在に至っています。
多くの方々のご愛顧のおかげで、ホワイトデーは、1999年に二十歳となりました。全飴ホワイトデー委員会はキャンデーの持つ優しさをコミュニケーションツールとして皆様方の素晴らしいヒューマンリレーションのお役に立てますよう日々努力致しているところです。

全国飴菓子工業協同組合 ホワイトデー委員会